大人の女性が主人公の物語が増えた|見られる側から語る側への変化を読む
40代・50代の女性を主人公にした作品が目立つようになりました。何が変わり、何が変わっていないのか。描かれ方の傾向を社会の側の話として整理します。
主人公の年齢が、少し上がった
ドラマでも小説でも、40代や50代の女性を中心に据えた作品を見かける機会が増えたと言われます。以前なら母親役や上司役として脇に置かれていた年齢層が、物語を動かす側に来ている、という指摘です。
これは単に流行の話ではありません。誰が語る側に立てるかは、その社会がどの人生を語る価値のあるものと見なしているかを映します。だから、描かれ方の変化は読み手の自己像にも静かに影響します。
ここでは、特定の作品を評価するのではなく、語られ方の傾向として何が変わり、何が残っているのかを整理します。
長く「見られる側」に置かれてきた
物語のなかで女性は、長いあいだ見られる対象として置かれてきたと指摘されてきました。容姿が描写され、誰かに選ばれ、選ばれることで物語に参加する。本人が何を感じているかは、しばしば後回しにされてきました。
この構図では、年齢を重ねることは価値が減ることとして扱われやすくなります。選ばれる可能性が下がる、という前提が先にあるためです。中年以降の女性が主人公になりにくかった理由の一つは、ここにあると言われています。
変わったこと、残っていること
下の表は、以前よく見られた形と、近年目にするようになった形、そしてそれでも残っていると指摘される課題を並べたものです。変化があった、で終わらせないための整理です。
見ておきたいのは右の列です。新しい描かれ方にも新しい型ができていて、その型からはみ出す人生はやはり描かれにくい、という状態は残っています。
| 観点 | 以前よく見られた形 | 近年見られるようになった形/残る課題 |
|---|---|---|
| 年齢 | 若い女性が中心。年上は母や上司として脇に | 中年期の主人公が増える一方、「若く見える」ことが前提になりやすい |
| 主題 | 恋愛の成就が物語の到達点 | 仕事・友情・介護など恋愛以外の主題。ただし恋愛がないことを説明させられがち |
| 性のこと | 語られない、または笑いとして処理される | 本人の言葉で語られる場面が増える一方、語れる役はまだ限られる |
| 結末 | 結婚や出産で完結する形 | 選ばない結末も描かれるが、選ばなかった理由を求められやすい |
「等身大」という言葉のあいまいさ
この種の作品を紹介するときに、等身大という言葉がよく使われます。飾らない、無理をしていない、現実に近い、という意味で使われますが、何を現実と見なすかは書き手の側の想定に左右されます。
都市部で働き、一定の収入があり、健康で、家族関係もそれなりに保たれている。等身大として描かれる姿が、実はかなり限られた条件の上に成り立っていることがあります。そこから外れた読者は、自分の生活のほうが例外なのだと感じてしまいます。
等身大という言葉が出てきたときは、誰にとっての等身大なのかを一度置き直してみると、作品との距離が取りやすくなります。
描かれることの副作用
語られなかったものが語られるようになるのは、基本的には良い変化です。ただ、描かれ方が定着すると、それが新しい規範になることがあります。中年期はこう生きるものだ、という別の型が生まれるということです。
自分を大切にする、無理をしない、自分の選択で生きる。どれも良い言葉ですが、それができていない時期の自分を否定する道具にもなります。作品の主人公のように立て直せないことは、失敗ではありません。
受け手の側でも変わってきたこと
変化は作り手の側だけで起きているわけではありません。読み手や視聴者が感想を発信するようになり、描かれ方への違和感がその場で言葉になるようになりました。
以前なら流されていた場面に説明が求められるようになり、それが次の作品に反映されていく。この往復が、いま起きている変化の実際の中身だと言われています。だから、違和感を口に出すことにはそれなりの意味があります。
自分の物語を、他人の型に合わせない
物語は、自分の人生を読み直すための道具として使えます。うまく重なる作品に出会えば、言葉にできなかった感覚に名前がつくことがあります。
ただ、重ならなかったときに、間違っているのは自分のほうだと考える必要はありません。まだ描かれていない人生があるというだけのことです。どの型にも収まらない部分こそ、その人固有の話として残ります。