「結婚しないの?」が減ってきた|独身という状態の語られ方の変化
かつて独身は「途中」として語られていました。その扱いがどう変わってきたのか、何がまだ変わっていないのかを、言葉と制度の側から整理します。
聞かれる場面が減った、という実感
親戚の集まりや職場で「まだ結婚しないの」と聞かれる場面は、以前より減ったと言われています。聞くほうも、それが立ち入った質問だと分かるようになってきました。減ったのは質問だけで、前提そのものが消えたわけではありませんが、変化は起きています。
この変化は、個人の考え方が急に変わったから起きたわけではありません。働き方、住まい、寿命、家族の形といった条件が動いた結果として、言葉のほうが後から追いついてきた、という順番に近いようです。
語られ方が変わると、同じ生活をしていても受け取られ方が変わります。以前は説明を求められた場面で、いまは何も言われない。その差は本人の努力とは関係のないところで生まれていて、だからこそ、まだ言われる場面が残っていても自分の問題ではありません。
独身が「途中」として扱われていた時期
かつては、結婚して家庭を持つことが人生の標準的な行程として語られ、そこに入っていない状態は「まだ」の一言で説明されていました。独身のままでいる人を指す流行語がいくつも生まれ、その多くは本人が選んで名乗るものではなく、外側から貼られる呼び名でした。
呼び名が外から来るとき、そこには必ず標準とのずれが含まれます。ずれとして扱われる限り、本人がどう生きているかは説明の対象になりません。「なぜそうしないのか」を問われ続ける側に置かれる、という構造がありました。
何が変わったのか
変化の背景としてよく挙げられるのは、女性が長く働き続けられるようになったこと、一人暮らし向けの住まいやサービスが整ったこと、寿命が延びて人生の後半が長くなったことなどです。どれか一つが決定的だったというより、重なって効いていると考えられています。
下の表は、語られ方がどう移ってきたかの大まかな整理です。年代を区切って断定できるものではないので、方向として読んでください。
| 論点 | かつての語られ方 | いまの語られ方 |
|---|---|---|
| 独身という状態 | 結婚までの途中の段階 | 続きうる状態のひとつ |
| 名づけ | 外から貼られる呼び名 | 自分で説明する言葉を選ぶ |
| 理由の説明 | 本人に説明責任がある前提 | 聞くこと自体が立ち入りとされる |
| 老後の話 | 家族が支える前提 | 制度とサービスを組み合わせる前提 |
| 恋愛・性 | 結婚の中にあるもの | 結婚とは別に語られるもの |
「選んだ」と「そうなった」の間にあるもの
語られ方が変わる過程で、「自ら選んだ生き方」という説明が広まりました。前より肯定的ではありますが、この言い方も一つの型です。実際には、選んだとも言い切れず、そうなったとも言い切れない位置にいる人のほうが多いはずです。
はっきり選んだ人だけが胸を張ってよく、そうでない人は説明に困る、という状態は、結局のところ「標準に合っているかどうか」を問い続けているのと変わりません。どちらでもない、まだ決めていない、という答えが許されるかどうかが、実際の余裕の量を決めます。
「一人のほうが自由」も、裏返しの型になりうる
近年は、一人でいることの快適さを語るコンテンツも増えました。それ自体は健全な揺り戻しですが、快適さを証明し続けなければいけない空気になると、しんどさを言いにくくなります。寂しいと感じた瞬間に、自分の選択が間違っていたことになってしまうからです。
誰かに触れてほしい、話を聞いてほしいと思うことも、選択の失敗ではありません。日常の中でその感覚を扱う場所が少ないだけで、感じること自体はごく普通のことです。必要になったときに頼れる先を知っておくのは、生活の設計の一部です。
自由と寂しさは、どちらかが本当でどちらかが嘘、というものではありません。同時に成り立ちます。片方だけを掲げる語り方は、どちら向きであっても、実際の生活からは少し離れていきます。
制度と設計は、まだ二人以上を前提にしている部分がある
言葉が変わっても、住まいの契約、入院や手術のときの手続き、老後の支え手といった場面では、家族がいることを前提とした仕組みが残っています。ここは気持ちの問題ではなく、事前の準備で埋める部分です。
誰に連絡してもらうか、判断を任せられる相手がいるか、必要な書類はどこにあるか。こうしたことを元気なうちに決めておくのは、悲観的な準備ではなく、単なる手続きです。自治体の窓口や専門家に相談できる領域でもあります。
外の型ではなく、自分の言葉を持っておく
語られ方が変わってきたとはいえ、他人の型はこれからも入ってきます。かつては「まだ」で、いまは「選んだ」で説明されるかもしれません。どちらも外から来る言葉だという点では同じです。
必要なのは、他人を納得させる説明ではなく、自分が納得できる言い方を一つ持っておくことです。それは短くて構いませんし、時期によって変わっても構いません。人生の形が一種類ではなくなったということは、説明の仕方も一種類でなくてよい、ということでもあります。