名前で呼ばれない日が続く|役割の中で薄くなる自分の輪郭
お母さん、〇〇さんの奥さん、担当者。役割で呼ばれる時間が長くなると、自分が何を好きだったか思い出しにくくなります。その仕組みと、輪郭の確かめ方の話です。
一日、名前で呼ばれていない
「お母さん」「奥さん」「担当の方」。一日を振り返ってみると、自分の名前で呼ばれた場面が一度もない日があります。呼ばれ方は些細なことのようでいて、その日一日、自分がどの立場で扱われていたかをそのまま表しています。
困っているわけではないのに、なんとなく薄い感じがする。誰かに必要とされている実感はあるのに、自分がどこにいるのか分からない。この感覚は、役割が増えた時期に出てきやすいと言われています。
役割は、便利であるほど固まる
役割があると、その場で何をすればいいかが決まります。迷わずに動けますし、周囲との連携もしやすくなります。だからこそ、役割は自然と強化されていきます。うまくこなせる人ほど、その役割を期待され、期待に応えるほど輪郭がはっきりしていきます。
問題は、はっきりしていくのが役割の輪郭のほうだけ、ということです。求められる振る舞いが決まっていくにつれ、そこに入らない部分——好き嫌い、気分、やってみたいこと——は、出す機会そのものが減っていきます。
こぼれ落ちるのは、判断の細かい部分
役割の中では、多くの判断が先に決まっています。何を優先するか、どんな態度でいるか、どこまで我慢するか。自分で選んでいるようでいて、その立場に付いてくる標準に沿っているだけ、ということが起こります。
下の表は、よくある役割と、そこで求められがちな振る舞い、そして表に出しにくくなるものの整理です。役割そのものが悪いという話ではなく、何が見えにくくなるかを確かめるための表として見てください。
| 役割 | 求められがちな振る舞い | 出しにくくなるもの |
|---|---|---|
| 母・親 | 先に相手を優先する | 自分の疲れ、やってみたいこと |
| 妻・パートナー | 場をなごませる、合わせる | 違和感、意見の違い |
| 娘・家族の世話をする側 | しっかりしている、頼られる | 弱っていること、断りたい気持ち |
| 職場の担当者 | 感情を出さず淡々と処理する | 納得していないという感覚 |
| まとめ役・相談される人 | 落ち着いて聞く側でいる | 自分の悩み、助けてほしさ |
「自分がない」わけではない
この状態を、自分が空っぽになったと受け取ってしまう人がいます。ただ、実際に起きているのは、出す場面がないまま置かれている、ということのほうが多いようです。なくなったのではなく、使っていない期間が長い、という捉え方のほうが実情に近いことがあります。
久しぶりに好きなものを選ぼうとして、何も浮かばないことがあります。これは感性が失われたというより、選ぶ機会から遠ざかっていた時間の長さが出ているだけ、と考えたほうが動き出しやすくなります。
輪郭は、小さい選択から戻ってくる
自分を取り戻すという言い方は大げさに聞こえますが、実際にできることは小さいものです。誰の都合も関わらない場面で、自分だけの理由で決める。それを一日のどこかに一つ置いておく、という程度で構いません。
大きな決断から始めようとすると、時間も条件も揃わず、結局何もしないまま終わります。順番としては、小さく選ぶ回数を増やすほうが先です。回数が増えると、自分の好みが自分でも分かるようになってきます。
- 飲み物を、体によさそうだからではなく飲みたいほうで選ぶ
- 移動の道を、近いほうではなく気分のいいほうにする
- 誰にも見せない場所に、行きたい場所や気になったことを書き留める
- 一日のうち十分だけ、誰の用事でもない時間にする
周囲に説明しにくい理由
この感覚は、人に話しても伝わりにくいところがあります。具体的な不幸があるわけではなく、生活は回っているからです。話せば「恵まれているのに」と返ってきそうで、言わないまま置いておく人も少なくありません。
ただ、困りごととして形になっていないだけで、消耗は進みます。誰かに理解してもらうことを条件にせず、まず自分の中で「今こうなっている」と認めておくだけでも、扱いやすさは変わります。他人の同意は、自分の状態を認めるための必要条件ではありません。
役割を降りなくてもできること
役割をやめれば解決する、という話ではありません。母であること、働くこと、誰かを支えることは、多くの場合やめられませんし、やめたいわけでもないはずです。必要なのは、役割の外側に立てる時間や場所を、細くてもいいので残しておくことです。
それは趣味でも、通う場所でも、話せる相手でも構いません。共通しているのは、そこでは役割で呼ばれないということです。名前で呼ばれる場所、あるいは何者でもないままいられる場所を一つ持っておくと、役割に戻ったときの負荷が変わってきます。